2年前の夏、2時間遅れの飛行機で、夜22時に辿り着いたナポリの空港にて。中央駅行きのバスを待っていると、様々な人が「本当に1人で行くのか」「女性1人は危険だ」と声をかけてきた。バス停に迎えがくるから大丈夫、と乗り込んだはいいが、駅に到着し、ドアをくぐり降りた途端に目の前に広がっていたのは…地獄絵図だった。ゴミの山があちこちに広がり、その山裾にはかろうじて人の形と認められる乞食が寝そべっている。人々の目は鋭く、誰もが飢えている雰囲気を全身で感じた。バスの運転手は、終点でもないのにバスを一時停車させ、運転席から降り、私以外の唯一の乗客だったアメリカ人観光客家族をホテルまで送迎する。日本からやってきた学生時代の友達と合流し、なんとかホテルに辿り着くまでのたった200メートルの道のりが、恐ろしく長く感じた。これが果たして一先進国の風景なのか?私はこんな国に住んでいたのか、と自問した…。
美しきナポリが、腐敗した町となった
ゴミ問題の元凶、新興マフィア・カモッラの実体を描いた映画「GOMORRA-ゴモッラ-」が今年のカンヌ映画祭にてグランプリを獲った。世界的なベストセラーノンフィクション「
死都ゴモラ」の映画化である。若き著者ロベルト・サヴィアーノ氏は、カモッラに潜入し、今まで暴けなかった衝撃の実体をドキュメントしたことで、マフィアより死刑宣告を受け、警察の管理下で転々と生活している。この危険なノンフィクションを映画化したのは若手監督マテオ・ガッローネ。2002年"
L'imbalsamatore-剥製師-"という非常に印象深い映画で知られるこの監督は、その匂いをもリアルに感じさせる映像と、美しい光のもとに宿る深い闇を描くことを得意とする。一粒の情も存在しない、徹底した利潤主義を貫くカモッラに関わる人々の生活を、断片的に織り込んで見せたリアルな映画。その残酷さと虚無感は、ナポリという町の行く末のみならず、イタリアという矛盾を抱えた国への悲壮感を倍増させた。2年前に目の当たりにした退廃都市ナポリのゴミ山の裏には、こんな世界が繰り広げられていたと思うと、改めてぞっとする。
そして、今年のカンヌで話題となったもう1つのイタリア映画「IL DIVO-神-」は審査員特別賞を獲得。イタリア政界のドンであるジュリオ・アンドレオッティ元首相の半生を風刺的に描いたドキュメンテーションオペラ。栄誉ある終身上院議員である一方、マフィアとの深い関係をささやかれ続け、彼の政治活動に目障りになる人々への暗殺依頼についての裁判にかけられてきた人物アンドレオッティを若手監督パオロ・ソレンティーノ監督がポップにシニカルに描き上げた。

若き優秀な監督の受賞に、イタリア映画復活!と沸き立つのは正しいが、改めてイタリアという国の深い闇のごく一部を世界に知らしめた結果となった。この国に住み、公立系の組織に多少なりとも関わっていると、内部の矛盾と腐敗、風通しの悪さ、根の深さ、変化の難しさを実感する機会がある。偉大な歴史は、改革・変化の困難にもつながっている。政界・財界・宗教界…国を司る重鎮はマフィアという菌に蝕まれている。美しき光には必ず深い深い闇が在る。知らない方が幸せだけど、現実とはこんなものだ。
日本の闇も深いと思うが、あいまいな光の中では陰もそこまで暗くない。イタリアの闇が、強い光を遮る石の建物に宿る陰に例えられるなら、日本の闇は、障子の和紙を通してできる境界の薄い影。陰影が礼賛されるほど、ある種の美しさにもつながる。でも、イタリアの闇は美しさや情緒から遠く離れた深く取り返しのつかない陰である。光の美しさが際立つからこそ、その陰の存在は深く深く沈んでいる。
ps: 映画よりもっともっとコワイ現実が描かれたノンフィクションは日本語にも翻訳されている。
上記のナポリの犯罪集団カモッラを描いた世界的ベストセラー
死都ゴモラ、そして、ちくま新書からはシチリアマフィアのラ・コーザ・ノストラの実態に迫った
イタリア・マフィアがマフィア本として知られている。読まない方が、現実の闇を知らないほうが幸せ、ということもある。